こんばんは!
くぼたやです。
年を重ねると、健康でいることの大切さを実感しますよね。
健康に気を遣って、元気に過ごしたいなと思う日々です☆
平昌パラリンピック、最高齢の選手はなんと61歳!
なんと還暦を迎えています…!
「氷上の格闘技」と呼ばれるアイスホッケーで活躍している
その元気の秘訣は何なのか、気になりますよね(*´Д`)
パラアイスホッケーの福島忍選手について調べてみました。
Contents
福島忍選手について
福島 忍(ふくしま しのぶ)
・生年月日
1956年(昭31)12月14日(2018年3月現在61歳)
・出身地
静岡県藤枝市
・所属
車いすや福祉、介護用品を製造・販売するニック(株)勤務。
経歴について
・幼少期~社会人
幼少期からサッカーに打ち込み、専門学校、社会人チームでもGKとしてプレーした。
ヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)から誘いをもらうほどの実力だった。
24歳の時にオートバイ交通事故で脊椎を損傷。バイクで車と衝突。
脊髄を損傷し、下半身が不自由になった。両脚まひで車いす生活となった。
事故後も車いすバスケットボール、テニスなどを経験した。
車いすバスケットの日本代表を目指したが、練習過多で体調を崩し挫折。
・アイスホッケーへの転向
その後、長野パラリンピックへ向けた1996年の選手公募をきっかけにアイスホッケーに転向した。
2年後に迫った長野大会に向け、代表を目指す選手の公募があり、「挑戦したい」と39歳の時に手を挙げた。
この時は選ばれなかったが、「楽しくてやめたくない」と競技を続けた。
98年長野大会へ向けたアイスホッケー選手公募に39歳で応じたが、代表は落選した。
「いろいろあった悔しさでさぁ、今でも続けてるんだよ、うん」
長野後は代表に定着したが、常に第2GKの立場であった。
・パラリンピック初出場
パラリンピック初出場は02年ソルトレークシティー大会までさかのぼる。
「世界でもいないからね。この年までやっているのは」と豪快に笑っていた。
2002年の米国・ソルトレークシティー大会から3大会連続で出場。
10年カナダ・バンクーバー大会で銀メダルを獲得。
一転、
日本は前回のロシア・ソチ大会への出場を逃した。
16年の世界選手権を終え、「若手に出場機会を譲ろう」と引退を考えました。
しかし、国内の競技人口は右肩下がりで今は約30人しかいない上、
バンクーバー大会まで正ゴールキーパーだった選手も引退していました。
体力面のきつさも感じながら、
「ホッケーの楽しさはこういうものだと伝えたい」
「平昌を逃すと、日本パラアイスホッケー協会すらも無くなるかもしれない。国内で競技を消滅させたくない」
危機感から現役続行を決めました。
平昌大会に出場する8カ国のパラアイスホッケー選手の中では最年長。
過去3回は控えで出番は少なかったが、今回は主力としてメダル獲得に闘志を燃やします。
平昌では表彰台を目指します。
「結果を残せば、競技人口が増えるきっかけになる」
次世代を担う若手には自身の経験を、日本のファンには競技の魅力を-。
自身4度目のパラリンピックは、福島選手にとっては未来のための戦いでもあります。
パラアイスホッケーにおける平昌パラリンピックの重要性が改めて感じられます。
日課について
アイスホッケーでGKは特に重要視されるポジションです。
海外選手が放つシュートは時速100キロを超えることもあるそうです。
次々と飛んでくるパックを止められるのは、
「これから相手が打ってくるというのが感覚で分かる」から。
蓄積された経験が鋭い読みを可能にしているそうです。
不可欠な動体視力は、画面に表示された数字を素早く読み取るトレーニングで鍛えています。
静岡県藤枝市の自宅から週に1度、長野県岡谷市のリンクに車で通い続けて20年経つようです。
動体視力と反射神経を専用機器で鍛える以外、10分程度の筋力トレを日課とする。
「この年だから現状維持でいい。練習し過ぎるとケガするからね、ガハハッ!」
まとめ
・福島忍選手は幼少期からサッカーに打ち込み、体を動かすことが好きだった。
事故後に1996年からパラアイスホッケーに転向した。
・日課として10分程度の筋トレなどを行っている。
いつまでも元気に活躍できる秘訣は、日々の取り組みや姿勢にあるのだと思いました(`・ω・´)
平昌パラリンピックでの活躍が楽しみです!
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