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パラアイスホッケー日本代表の平均年齢が高いのはなぜ?理由について

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こんばんは!
くぼたやです。

パラアイスホッケー日本代表選手の平均年齢の高さが話題になっています。
その平均年齢は41歳超。

オリンピックやパラリンピックで若い選手が活躍しているなか
パラアイスホッケーはなぜ平均年齢が高いのでしょう?
その理由について調べてみました。

 

 

Contents

パラアイスホッケー日本代表選手について

 

「氷上の格闘技」とも呼ばれる冬季大会の人気競技の一つ、パラアイスホッケー。

5カ国が参加し、3枠を争ったパラアイスホッケー平昌パラリンピック最終予選
(10月9日~14日、スウェーデン)で日本代表は2位に入り、
2010年バンクーバー大会以来、2大会ぶりのパラリンピック出場を決めました。

 

平昌オリンピック2018日本代表選手

 

GK  21  福島 忍(ふくしま しのぶ)
1956/12/14 (61歳)
長野サンダーバーズ

 

GK  30  望月 和哉(もちづき かずや)
1981/05/04 (36歳)
長野サンダーバーズ

 

GK/FW 36  廣瀬 進(ひろせ すすむ)
1971/12/23 (46歳)
北海道ベアーズ

 

DF 18  中村 稔幸(なかむら としゆき)
1969/03/08 (48歳)
長野サンダーバーズ

 

DF キャプテン
24  須藤 悟(すどう さとる)

1970/10/23 (47歳)
北海道ベアーズ

 

DF 25  三澤 英司(みさわ えいじ)
1973/02/22 (45歳)
北海道ベアーズ

 

DF 32 上原 大祐(うえはら だいすけ)
1981/12/27 (36歳)
東京アイスバーンズ

 

DF 33 石井 英明(いしい ひであき)
1977/09/17 (40歳)
東京アイスバーンズ

 

FW 2  堀江 航(ほりえ わたる)
1979/05/25 (38歳)
長野サンダーバーズ

 

FW 13  吉川 守(よしかわ まもる)
1970/02/18 (48歳)
長野サンダーバーズ

 

FW 16  柴 大明(しば たいめい)
1971/10/22 (46歳)
東京アイスバーンズ

 

FW 27  安中 幹雄(あんなか みきお)
1971/08/15 (46歳)
東京アイスバーンズ

 

FW 40  塩谷 吉寛(しおや よしひろ)
1989/01/19 (29歳)
長野サンダーバーズ

 

FW オルタネイトキャプテン
55  高橋 和廣(たかはし かずひろ)

1978/12/04 (39歳)
東京アイスバーンズ

 

FW 70  児玉 直(こだま なお)
1986/12/27 (31歳)
東京アイスバーンズ

 

FW 79  南雲 啓佑(なぐも けいすけ)
1985/09/05 (32歳)
東京アイスバーンズ

 

FW オルタネイトキャプテン
96  熊谷 昌治(くまがい まさはる)

1975/02/06 (43歳)
長野サンダーバーズ

 

 

平均年齢は41歳超!その理由はなぜ?

 

最年長のGK福島忍選手は、1956年12月生まれの61歳
29歳のFW塩谷吉寛選手が最年少で、唯一の20歳代。
40歳以上が10人、30歳代が6人で、平均年齢は41歳超

 

 

 

 

 

 

平均年齢が高い理由は何でしょうか?

 

・パラアイスホッケーは日本での競技人口はおよそ50人とまだまだ少ないマイナースポーツであることが理由の1つでもあります。

国内では「長野サンダーバーズ」、「東京アイスバーンズ」、「北海道ベアーズ」、「八戸バイキングス」の4チームです。

1998年長野パラリンピック開催へ向け、93年にノルウェーから講師を招いて講習会を開いたのが始まりです。
94年に日本初のクラブチーム、長野サンダーバーズが結成されて、
翌95年には東京アイスバーンズ、北海道ベアーズが活動を始め、初の国内大会を開催しました。
2000年には八戸バイキングスが活動を開始しました。

長野パラリンピックの前後にはテレビでも何度か取り上げられたが、まだまだ知名度が低い。
しかし、オリンピックでメダルを狙える競技なので、それを機に知名度が上がれば競技人口も増えるという可能性を秘めている競技である。

 

日本には、2010年にバンクーバーでのパラリンピックで銀メダルを獲得した実績があります。

その後は主力の引退や故障が相次ぎました

・その穴を埋めるだけの若手も現れなかった。

ということも理由ですね。
競技人口が少ないマイナースポーツだということも関係していますね。

 

パラアイスホッケーは、北欧や北米のようにアイスホッケーのさかんな国では、メジャースポーツとして親しまれ、
パラリンピック団体競技としても世界的に高い人気を誇ります。
日本代表チームが久しく抱える課題のひとつに、
海外遠征や海外チームを日本に迎えての国際試合をするための活動資金の問題もあるようです。

「周知の通り、国内でのパラアイスホッケーは、残念ながら、メジャースポーツとは言えません。
スポンサー様がいることはいるのですが、決して多くはなく、正直言って、金銭的にかなり厳しい状況なんですね。
例えば、イタリアで国際試合を行う場合、ヨーロッパ近隣のチームは陸続きなので、ほとんどが皆、車で容易に移動できます。
ところが、日本で試合を行う場合、当然ながら、彼らは飛行機に乗らなれば移動できない。
わざわざ遠い島国まで時間とお金をかけて移動し、試合をする必要性はありません。

逆に、彼らを日本に招致しようとした場合、選手全員分とスタッフの渡航費が、チームの数だけかかってきます。
それらをまかなえる余裕はなく、近年は、なんとか資金を捻出して、僕たちが海外に出向いて試合を行う状況がずっと続いていました」

 

資金についての問題を須藤主将は語っています。

振り返れば、ソチパラリンピックの出場権を獲得できなかった一因は、費用の問題から、
十分な国際試合と海外遠征ができず、実戦経験を積めなかったことにあるようです。
なんとかこの状況を打破しようと、2015年に「Ready For」でクラウドファンディングを立ち上げ、
日本で大会を行うために、海外チームの渡航費を調達することに成功したようです。

 

パラリンピックも、ソチ大会の最終予選で敗れ、1998年の長野大会からの連続出場が4で途絶えた。
「選手間の気持ちがバラバラになった時期もあった」と、長く主将の責務を担い続けるDF須藤悟選手(47)は振り返る。

競技の灯を消してはならぬと苦闘を続ける須藤主将らの姿に、
いったん代表を離れていた銀メダリストの安中幹雄選手(46)、
上原大祐選手(36)、中村稔幸選手(48)が戦列復帰。
彼らの奮闘もあって昨年10月、スウェーデンでのパラリンピック最終予選を5チーム中2位で通過した。
ベテランたちが意地と経験値で手にした平昌への切符といえる。

 

競技の灯を消さない努力を続けてきた須藤主将をはじめとするパラアイスホッケー選手たち。
その熱意を知ったベテラン選手が復帰して奮闘したことにより、今回のパラリンピック出場に至ったようです!

 

くぼたや
この大会にかける熱い気持ちを知って、ますます応援したくなりますね!

 

 

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まとめ

・パラアイスホッケー平昌オリンピック2018日本代表選手の平均年齢は41歳超

・平均年齢が高い理由はパラアイスホッケーは日本での競技人口はおよそ50人とまだまだ少ないマイナースポーツであることや
 主力の引退や故障が相次ぎ、その穴を埋めるだけの若手も現れなかったから。

 

今回のパラリンピックにかける選手たちの熱い気持ちを知って、感動しました。

パラリンピックでパラアイスホッケーの知名度が上がり、競技人口が増えると良いですよね。

 

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